フレッシュマンブログをご覧の皆様、ご機嫌いかがでしょうか? ゲームデザイナーの中園です。このブログをご覧の方の大半がゲーム業界に興味がある、もしくはゲーム業界で働きたいと考えているのではないでしょうか?

今回はそういった皆様への参考例の一つとして、「私がゲームデザイナー(プランナー)を選んだ理由」、そして入社してから感じた「プラチナゲームズにおけるゲームデザイナーとは」の2つについて話していきたいと思います。


●私がゲームデザイナー(プランナー)を選んだ理由

私がゲーム業界、そしてゲームデザイナーを第一に志望するようになったのは大学3年生の6月ごろであったと記憶しています。それ以前は、物心ついたときからずっとビデオゲームをプレイし続けてきたこともあり、興味のあるいくつかの選択肢の一つとしてゲーム業界を見ていました。ただ、この時点ではゲーム業界にはグラフィッカー、アーティストとして就職しようと考えていました。実は私の通っていた大学は芸術大学で、専攻もヴィジュアルデザインという視覚デザインを主としたものでしたので、得意分野である絵の方面で就職しようと思うのは当然でした。しかもこの頃はゲーム業界への無知さゆえに、「ゲームデザイナー」という職業さえも知らなかった始末。ビデオゲームを制作しているのはプログラマーとアーティストとサウンドといった技術職の人たちだけだと思っていたのです。そんな状態の私がなぜゲームデザイナーとしてゲーム業界を目指すことになったのでしょうか? その転機は冒頭に書いた通り、大学3年生の6月に訪れました。

当時課題の調べ物のために大学の図書館で本を探していた私は、偶然にも『ポケモン・ストーリー』と背表紙に印刷された銀色の本を見つけました。幼い時からポケモンを遊んでいた身としてはその本に惹かれない理由などなく、「ゲームのストーリーについてまとめられた本だろうか」と軽い気持ちで読み始めます。実際の本の内容は『ポケットモンスター』シリーズの誕生から現在(本の中では2002年ごろ)に至るまでの経緯が書かれたビジネス書だったのですが、この本で初めて私はビデオゲームが企画から成り立つものだということと、それを書き上げる設計者「ゲームデザイナー」という存在があることを知りました。また本の内容はそれだけではなく、ポケモンというゲームに込められた思いや、ポケモンの開発者にとってビデオゲームとはどういった存在なのかということまで細かく書いてあり、読み進めるうちにどんどんビデオゲーム制作が持つ魅力に惹かれていった私は「ゲーム業界を第一志望にしよう」と思い始めたのです。そしてそのためにも絵の勉強を更に頑張るぞ、と意気込みました。

ところが更に本を読み進めていくと、任天堂の宮本茂氏が学生時代に同社の面接試験に行ったエピソードが十行程度にまとめられており、そこには当時の任天堂の社長である山内溥氏から言われたことが次のように書かれていたのです。

「絵描きはいらない」
これが私にゲームデザイナーを志望させる最大のきっかけになりました。

結果的に宮本氏は任天堂へ入社することになるのですが、それは社長の山内氏が宮本氏の制作したおもちゃのアイデアを気に入ったからでした。(諸説あり)このエピソードに出会った私は、「ゲーム業界を目指すなら技術だけじゃなく、面白いアイデアを出すことでゲームの制作に関わりたい、ならば宮本氏のように絵も描けてアイデアも生み出せるゲームデザイナーになろう」と決心することになったわけです。ちなみにここまで簡単に決心することができた理由としては、専攻しているヴィジュアルデザインの課題の中で商品やイベントの企画を立てる機会があり、自分なりに企画のノウハウを身に付けてきていたという自信があったことも大きかったと思います。

●プラチナゲームズにおけるゲームデザイナーとは
それから紆余曲折あってプラチナゲームズにゲームデザイナーとして入社することになったのですが、その仕事内容は2年目になった今でも全貌はつかみ切れていないのではないかと思うほど多岐にわたっています。ステージ制作や仕様書の作成、ゲームギミックの考案、レベルデザインなど、軽くいくつか挙げてはみましたが、これらはプラチナゲームズのゲームデザイナーの仕事のほんの一部だと認識しています。

私自身がこれまでに行ってきた仕事を振り返ると、当然ステージの制作や仕様書の作成といった仕事もありましたが、サブシナリオのプロット制作、アーティストに制作してもらいたいオブジェクトやアイコンといった発注資料の作成など、それはゲームデザイナーがやってしまっても大丈夫なものなのかと心配になるものまでやらせてもらっている状態で、周りのゲームデザイナーの先輩を見ても、敵のパラメーターを調整している人もいれば、登場キャラクターの声優候補を考えている人もいて、改めて多岐にわたっていると実感します。

そんな中には、芸大時代に学んだことが役に立ったこともありました。
例えば仕様書を作成する時などは、ゲームデザイナー側で予めゲーム画面のイメージ画像を用意しておく必要があります。プログラマーやアーティストが見てわかりやすくするためなのですが、そういった際に芸大時代に学んだPhotoshopなどの画像編集ツールを扱う知識が役に立っています。企画書などのレイアウトを考える際にも、学生時代にプレゼンボードという、自身が制作した作品のプレゼンテーション用の資料を制作していた経験が役立ちました。ただ、芸大時代のプレゼン資料は基本Illustrator等の描画ソフトを使用して制作していたものですから、ゲームデザイナーとなって全く使用経験のないExcelやPowerPointの操作には手間取っています。特にPowerPointはプラチナゲームズのゲームデザイナーが企画書を制作するときに使用する基本ツールなので、ゲームデザイナー志望の方で、もし使用したことがないのであれば、今のうちに触って操作に慣れておくことを強くお勧めします。

多種多様な仕事に関わっていると、未経験のことに挑戦する機会も多いのですが、そこには新しい発見もあります。例えば、私としては半信半疑の状態ではありますが、サブシナリオのプロットを制作した際に周囲の評判が良かったことがあり、軽く自信がつきました。もし、シナリオプロットの制作作業をやらせてもらわなかったら、この可能性に気づくことはなかったのではないでしょうか。

2年間の経験から改めて「プラチナゲームズのゲームデザイナーとは何か」と考えると、それはやはり「常に新しいことへ挑戦し続ける存在」だと思えます。仕事内容が多岐にわたっていることでそう感じるのかもしれませんし、そもそもまだ入社2年目で、本格的なビデオゲーム制作自体初めてということもあるでしょう。しかし私は、ゲームデザイナーとして、入社してから今日まであらゆる仕事に対して自分が考える最高のものを表現することに「挑戦し続けてきた」と自負しています。当然周りの助けが必要になることも多かったのですが、失敗したとしても周りは必ずサポートをしてくれる人たちばかりでしたし、逆に私が周囲のサポートをすることも少し増えてきました。挑戦することで自分の中に新たな可能性を見出すこともありました。また、挑戦し続けているのは私だけではなく、他のゲームデザイナーの先輩方はもっと大きな挑戦をしていると感じます。なによりプラチナゲームズ自体が「自社IPを世に送り出す」という大きな目標に挑もうとしています。ですから、ゲームデザイナーとしての道を考えている方は、まずは挑戦してみてください。自身が考える企画書に、最高のビデオゲームとは何かというのを全力で表現することに励み続けてください。企画書の書き方等はそれを表現してからでも私は遅くはないと思います。書くものが決まっていないことの方が重大な問題です。とにかくあなたの最高のゲームを考えて、ゲーム業界へ挑んでください。心配することはありません。ゲーム業界のことを全く知らなかった私が、今ゲームデザイナーとして働いていることが根拠になるでしょう。プラチナゲームズのゲームデザイナーは挑戦する人を何よりも歓迎します。

以上、長文になりましたが読んでいただきありがとうございます。





nakazono中園 大夢 Hiromu Nakazono
芸術大学出身のゲームデザイナー。今年の目標は「確立」である。
最近コーヒーを飲んだら胃が長時間ムカムカし続ける目にあったことから、二度と飲まないことを決心する。