お待たせしました。ICHIでございます。
プラチナゲームズのフレッシュマン座談会、今回はプログラマー5人(!)でお届けします。これまでにもゲームデザイナー4名、アーティストは4名×2回の座談会を行ってきたわけですが、新人同士の仲の良さは毎回感じさせられますね。今回も個性的な5人が登場しますが、これまでの例に漏れず、容赦のないツッコミや和気藹々とした掛け合いを聞かせてもらえました。ゲームプログラマー志望の方も、そうでない方も、お楽しみいただければ幸いです。

◆バックナンバー
→プラチナゲームズの新人ゲームデザイナー座談会! 前編はこちら
→プラチナゲームズの新人アーティスト座談会パート1! 前編はこちら
→プラチナゲームズの新人アーティスト座談会パート2! 前編はこちら

– それではまず、自己紹介からお願いできますか。

竹田:竹田です。よろしくお願いします。地元は兵庫県で、IT系の専門学校に通っていました。好きなゲームは『ドラゴンクエスト』シリーズで、昔からよく遊んでました。

– 学生時代はどんな活動を。

竹田:専門学校に入って初めてプログラムに触ったんで、シェーダーとかも全然分からなくて、ずっとプログラミングの勉強を。学校でどんなゲームを作ったかというと―― “野菜を掘るゲーム” としか言えないんですけど。

一同:(笑)

– そもそも「専門学校でプログラミングをやろう」と思ったきっかけは?

竹田:高校から “就職か進学か” を選ぶときに、「自分は将来何がしたいんだろうな……」って考えたら、やっぱり “昔から好きだったこと” に関わりたいな、と思って。それでいろいろ調べていたらプログラマーという職業を見つけて、「格好いいな」と思ったんで、専門学校に入って勉強しようと思いました。

– プログラマーは “格好いいな” と。

竹田:そうですね(笑)

– 実際やってみてどうでした?

竹田:――難しいっすね(笑)

山田:“自分はカッコイイのか” でしょ?

大川:そう、「竹田:いま俺、カッコイイな」って(笑)

竹田:(笑)

– (笑)。尾崎さんは。

尾崎:尾崎と申します。出身は竹田と同じく兵庫県、さらに専門学校も同じで、好きなゲームは『ストリートファイターIV』。それが初めて触った格闘ゲームなんです。学生時代、僕は “自分が知らない技術を学んで、それをゲームに実装する” っていうのが楽しくて――特に “グラフィック周りの処理” は、実装するとすぐ見た目に違いが出るので楽しくて、そこを中心に勉強してましたね。

– プログラマーを目指したきっかけは?

尾崎:プログラム自体はもともと専門学校に入る前に少し触っていまして、そのときに「プログラムを組むのは楽しい」って思ったのと、ゲームも元から好きだったので、「ゲームとプログラミングを合わせて、それを仕事にできたらな」と思ってゲームプログラマーを目指した次第です。

– 最初にプログラミングを始めたのは、専門学校に入る前ですか。

尾崎:はい。きっかけは『Minecraft』っていうゲームで、そのとき “MOD*” という―― “ユーザーがMODを作ってゲームをいじれる” という文化に初めて触れてびっくりして。MODがどうやって出来ているのかを調べたら、「“Java” というプログラム言語で書かれている」ということが分かりました。

「じゃあ自分もプログラムの勉強をしてみよう」と思ったんですが、いきなりJavaはハードルが高かったので、まずはJavaScriptから始めてみようかと。――それでJavaScriptでちょっとホームページの処理を書いてみて、「楽しいな」っていうのに気付いたのが最初のきっかけですね。
*MOD:Modificationの略で、ゲームのデータを改造する行為や、その改造ファイルを指す。多くは非公式だが、なかにはMODの使用を公式に認めているゲームも存在する。

– なるほど。高校生ぐらいのときに?

尾崎:高校2年生のころですね。次にC++の勉強を始めて――「あれ? 最初のJavaはどこ行ったの?」って思うかもしれませんけど、そのころにはもうMODを作りたいというより「まずプログラムの勉強をしっかりしたいな」と気持ちが移り変わっていたので、C++の勉強をしてから専門学校に入った、という流れですね。

– “ありがとう『Minecraft』!” って感じですね(笑)

尾崎:そうですね、本当に。いいきっかけをくれました。

山田:山田と申します。和歌山県出身で、“医療と保育の専門学校のクリエイターコース” っていう、よくわからないコースから来ました。

– 医療と保育。

山田:医療保育とか、あとは事務系の――電卓を打ったりとか、簿記がメインの学校のクリエイターコースから来ました。本当に僕はそれまでプログラムを触ったこともなかったんですけど、2年制の学校だったので2年目はほとんど就活の時間になるし、そうなると勉強は1年目に凝縮しまくってするしかなく、本当に基礎的なことしか知らなくて――もう “掛け算を知らないから足し算でごり押す”、みたいな組み方でなんとかやっていました。好きなゲームはいろいろあるんですけど――『METAL GEAR』シリーズとかが好きですね。

– じゃあ『METAL GEAR RISING REVENGEANCE』も。

山田:やりました。

– ありがとうございます(笑)。――ところで、その学校を選んだ理由は。

山田:クリエイターコースがあることは知ってたんですけど、いろんな学校のオープンキャンパスみたいなのに行ったうえで、“そこの先生が良かったから” っていう理由だけですね。生徒もそれほど多くなくて。だけど、その先生がまあ――。

尾崎:居なくなったんでしたっけ。

山田:途中で――8カ月ぐらい学んだころに辞めちゃったんで、そこから結局また独学になって。――それはともかく、やっぱり “先生が良かった” っていうのが大きくて。ほかの生徒が多そうな学校にも、一応見に行ってはみたんですけど――例えば “1クラス40人” とか――別にクラスの人数は関係ないのかな? でもやっぱり先生の教え方が “マニュアルに則って” というか、“大勢への教え方” みたいになるじゃないですか。“浅く広く” みたいな感じで。

– 均一化したマニュアル的な。

山田:そうですね。なので、「この先生いいな」と思った。生徒が少ないから、結構、親切に教えてくださるというのもあって。それで、“先生で決めた” っていうのが一番大きいですね。

– “クリエイターコース” というのは、プログラミングをメインに?

山田:これ言っちゃっていいのか分かんないですけど、ヤバかったらカットしてください。

– 大丈夫ですよ、はい。

山田:僕、もともとプログラマーになりたかったわけではなくて。「ゲームに関わりたいな」っていうことでいろいろ探してたときに――アーティストコースとかは「でも絵、描けないな」と思って。それならプログラマーコースはというと、「プログラミングもできねえ」。それでゲームデザイナー、企画ですね。それは別に “プログラムができなくても、絵が描けなくてもいい” っていうコースだったんで、「もう僕の、今までの人生で活かせることは、ゲームをしてきたことだけだな」と思って、企画のコースで入ったんですよ、最初は。で、その学校に “企画のコースで入った” んですけど、「うちには企画のコースは無い」って言われて。

– ――入学してから!?

山田:入学してからです。

一同:(笑)

山田:最初、なんか言葉を濁されて。本当は企画のコースは存在しなかったんですけど、「企画もプログラミングできたほうがいいよ」みたいに誘われて。それで「企画もプログラムをやるんだ」と思って、プログラミングを勉強して。本当は企画コースなら企画に特化した――例えば設定を書いたり仕様書を書いたり――っていう授業があるはずだと思うんですけど、その学校にはそういうのがなくて。「実はプログラミングコースしかないんだよ」みたいな “衝撃の告白” を聞いて。

でも、そういうきっかけでプログラミングを始めることにはなったんですけど、やってるうちに楽しくなってきて、「別にこれで良かったかな」みたいな、“結果オーライ” みたいなところはありました。

– ああ、良かったですね……。

宇佐美:宇佐美と申します。よろしくお願いします。大阪出身で、大阪の専門学校のゲーム制作学科4年制に通ってました。好きなゲームはいろいろあるんですけど、『ポケットモンスター』シリーズとか、あとは『ロックマンエグゼ』シリーズが好きでしたね。

プログラマーを目指したきっかけは――最初は「高卒で就職しようかな」と思っていたんですけど、親から「とりあえず進学はしてくれ」って言われたので、チラシに入ってた専門学校から適当に選んで、体験入学に行ってみたのが始まりです。そこでちょっとしたプログラミングをする授業を受けたら「あ、ちょっと楽しいな」って思ったんで、その学校に行くということを決めて。

そのとき僕は「プログラミングができるなら(業種は)何でもいいかな」と思ってたんで、最初からゲーム業界を目指してたわけじゃないんですけれども。――ただ学校の授業の一環で、チームや個人でゲームを作ったりとか、シェーダーを触ったりしていくなかで、「やっぱゲームのほうがいいな」っていう思いが強くなってきたので、就職活動はゲームに絞ったんです。

– ゲームはそれまで結構プレイされてたんでしょうか。

宇佐美:中学校ぐらいまでは結構してました。高校に入ってからは、ほぼほぼ寝てたんで――。

– 3年間寝てた?(笑)

宇佐美:たぶんそうですね。学校に行ってた時間より寝てた時間のほうが多いぐらいで。専門学校に入ってからは、ゲームをするよりプログラミングのほうを主にしていた感じですね。

– ものをつくったりするのは、もともと好きだったんでしょうか。

宇佐美:図画工作は好きでした。5段階中の5は取れなかった気がしますけれども、なにかをつくるのは好きでした。つくって壊すのが好きでしたね。

– なるほど。

大川:大川です。愛媛県から来ました。学校は基本的にプログラマーばっかりの専門学校で、自分はそこのゲームクリエイター科出身です。アクションゲームが結構好きで、『モンスターハンター』シリーズとか『GOD EATER』シリーズとかを結構やってたんですけど、最近は『ドラゴンクエストX』にドハマリしてますね。アクションゲームじゃないんですけど。

– オンラインゲームの。

大川:はい。で、専門学校のときには、プログラムの中でもゲームエンジンとかのシステム周りや、シェーダーとかの描画周りを中心に触ってて――ただ、どっちかと言うと僕はゲームの遊びの部分、“プレイヤーキャラを作ったり” とか “エネミーを作ったり” とかが実は好きなんで、卒業制作ではそっちをやらせてもらいました。それがもう「楽しい楽しい!」って思ったんで、今の仕事でもそっちを触らせてもらっています。

– その専門学校に入ろうと思ったきっかけは。

大川:もともと高校時代は “総合学科” っていう、色々な専門職のさわりの部分だけを勉強するような学科の情報処理コースに所属していて――「工業系の専門学校に進学しようかな」と思っていたんですけど、IT系の専門学校の体験入学でゲーム科の授業を受けて「あ、これ楽しいな」って思ったのと、それがすんなり頭に入ってきたんで「自分に向いてるんだな」ということで、そこに決めました。

– 皆さんがゲームプログラマーを目指した経緯をお伺いしたんですけれども、就職活動ではどういった取り組みをされたんでしょう。

竹田:作品制作では「この会社を目指したい」と思って作ったことは特になくて。専門学校2年のときに1人でゲームを作ることになって、「じゃあ何を作ろうかな?」って考えたときに、正直まったく何を作ったらいいのか思い浮かばなかったので、とりあえず “何でもいいから思いついた単語” をばーっとノートに書いて、先生のところに見せに行って。

– なるほど、発想法ですね。

竹田:そうですね。で、先生に「全然ゲームの案が思い浮かばなくて――」っていう感じで相談に行ったら、「これ何なん?」って言われた単語が “農業” で。

僕、高校のときに農業科の学校で農業したことがあるんで、そういうゲームをつくれたら――って話をしていたら、そこから話が進んでいって、「じゃあこういうゲームを作ろう」という流れで就活のゲームを作った感じです。こだわりは…… “音” ですかね。

– 音?

竹田:プラチナゲームズの面接のときにも「この “野菜を取ったときの音” が気持ちいい」みたいなことを言われたんで。「プラチナゲームズを目指すからアクションゲームを作るんだ」とか、たとえば「RPGで有名な大手に入りたいからRPGを頑張って作るんだ」とか、そういう感じではなかったですね。本当に「作りたいから、これを作ろう」って、直感で決めたものを作っていました。

プレイヤーはこの乗り物(?)を操作して、指定された数の野菜を集めます(竹田)

テンポよく収穫!(音が良いんです)(竹田)

依頼を達成してお金をたくさん稼ぎます(竹田)

– 志望する会社はどうやって決めたんでしょうか。

竹田:正直、まだ行きたい会社も決まってない、ちょうどそんなときに学内のプラチナゲームズの説明会に参加して。もともと学校の先輩も結構プラチナゲームズに行ってらしたんで、そこで先輩の話や会社の評判を聞いたりしているうちに「ここを目指したいな」と思って、そこからプラチナゲームズ一択になりましたね。もう「ここが駄目だったらゲーム業界諦めようかな」と思ったぐらい。

– なるほど。インターンシップは参加されました?

竹田:応募はしたんですけど、応募者が多かったせいで参加できなくて。そのあとに大阪でプラチナゲームズ主催のセミナーみたいなのがあったので、そこで役員や先輩プログラマーの方々が壇上で話をしてるのを聞いて「社員同士の雰囲気もいいな」とか、「とても楽しそうな会社だな」と思いました。

– もともとプラチナゲームズのことはどの程度知っていました?

竹田:最初は先輩からの情報で興味があったぐらいだったんですが、いざ就職活動を始めるってときには「ゲームしないといけないな」と思って『BAYONETTA』とか『METAL GEAR RISING REVENGEANCE』とかを片っ端からかき集めてやりましたね。海外でしか発売されていないタイトル以外はだいたい揃えた感じです。

– プレイしてみて、いかがでした?

竹田:いや、楽しかったです。『BAYONETTA』をやったときは――当時から僕アクションゲームがちょっと得意ではなかったんで――「難しいな」と思ったんですけど、Nintendo Switchでもあらためてやりましたし、『NieR:Automata』も『The Wonderful 101』もやりました。うまく説明できませんけど、「ほかのゲームとは違うな」と思いましたね。

– 尾崎さんは。

尾崎:竹田と同じ学校だったんで、同じように2年生から1人で就活作品を作り始めたんです。当初は具体的な就職先の目標はなくて、それならば「“自分らしさ” で勝負しよう」、「自分のアピールできるところを作品に詰め込もう」と考えたんですが――周りには結構、ゲームの企画面で面白いことを考えているプログラマーの同期がたくさんいたので、そこで同じ土俵に立って勝負しても、うまく立ち回れるか自信がなかった。

それで僕は「技術的なアピールを自分の作品に詰め込もう」、その上で「『DARK SOULS』みたいなゲームにしよう」と決めて。その制作の中でキャラクターを動かすスキンメッシュだったりとか、衝突判定だったり、描画とかを勉強して、得られた技術を詰め込むことで「僕はこれぐらい技術力がありますよ」っていうのをアピールしよう、という目標を立てて作り始めました。

そうしたら、それを作っていく過程でプラチナゲームズの方に作品を見ていただく機会がありまして――その流れで応募することになりました。

就職作品として制作した3Dダンジョンのアクションゲームです。学んだ技術を詰め込み作成しました。特に描画処理に力を入れています(尾崎)

– アクションゲームを作ったのは、やっぱりアクションゲームが好きだから。

尾崎:そうですね。プレイしてきたものを振り返ると、やっぱりアクションゲームが一番多いと思ったんで。あと、純粋にそのときハマってたというのもあって、“『DARK SOULS』みたいなゲーム“ に行き着きました。

– 志望する会社を選ぶときは、いろいろと候補もあったと思いますが。

尾崎:まず1つ目に「最新のハードで制作が行われていて、その中で自分もその技術に触れながら、スキルアップしつつ貢献できる会社がいい」と考えていたのと、2つ目に学校の先輩から「この会社いいよ」ってプラチナゲームズを教えられて、先生からも「卒業生がたくさん在籍してるうえ、離職する人が少ない。かなり働きやすい環境だよ」って聞いたのが後押しになったのと。最後に、そのとき『NieR:Automata』の体験版が配信されていて、それを触ったときに “アクションゲームとしての気持ち良さ” と、“グラフィック表現としてのクオリティの高さ” を感じて「この会社に行きたいな」って思ったという――3つの要素から決めました。

– なるほど。それで会社説明会に?

尾崎:学校では企業の方に来ていただいて作品を見てもらえる「作品指導会」があるんですよ。そのタイミングでプラチナゲームズの方とお話する機会があって――その後に会社説明会に参加しました。

– 説明会でプラチナゲームズへの印象は変わったりしました?

尾崎:いや、事前に先輩や先生方から聞いてた印象どおりだったので「安心した」っていう感じですね。働きやすそうな環境も説明から伝わってきましたし。あと “プログラマーでもどんどん意見を言える” っていうのも、働きやすさに繋がっているんだろうな、と感じました。

– で、「あんまり離職してないよ」っていう。

尾崎:そうですね。

– 山田さんは。

山田:就活作品――……就活する直前ぐらいまで、僕、授業をあんまり受けてこれなかった。先ほども言ったんですけど、先生が好きで入ったのに、その先生が途中で辞めちゃって――たった1人の先生だったんで、僕ら先生を失って。

– しかもゲームデザイナーで入ったはずなのに――。

山田:プログラマーになって。――で、プログラミングを教えてくれてた先生が辞めて、どうしようもない状態になった。でも就活そろそろ用意しなきゃな、と。1年目の後半に準備して2年目からは就活をするんですけど、「用意しなきゃ」ってときに――基本的に3DのゲームってC++言語で書くんですけど――僕はまだその初心者版というか、C言語しか理解していなくて。3Dの知識もほとんどなくて3Dゲームも作れず、2Dのゲームしか作れなくて――これは「死んだな」と。「これは就活できねえな」と思って。

周りにいろいろ話を聞いてみても「やっぱり3Dゲームを就活作品として送ったほうがいいよね」みたいなことを言われて……。でもせっかくだから「ゲーム業界に入りたいな」と思ったんで、そこで独学でC++を勉強して、3Dのベクトル計算だったり――っていうのも勉強して、本当に、独学とゴリ押しでゲームを作って。で、「これでも評価してくれる会社を探そう」と思って、いろんなところに作品を送って。

でも――。送ったんですけど、そのときに、たぶん僕が送ったデータがぶっ壊れてて「見られない」状態だった。それを一斉に撒いたんです、いろんな会社に「見てくれ」って。

– その “ぶっ壊れた” やつを。

山田:ぶっ壊れたやつを。で、何社かからは「これぶっ壊れてますよ」って言われたんですけど、なんでぶっ壊れてるか分かんなかったんで、結局「ぶっ壊れたやつを送り直し」て。――実は “CD-ROMへの焼き方が悪かった” んですけど、そのときは同じ物を送り直したんで、おそらくそれも見られなかったでしょう。

そもそも「見られない」とさえ言ってくれない会社もあって――たぶんその会社からはその時点で蹴られたんでしょうけど――普通の会社でも1回送り直してそれで駄目だったら、“もう面倒くさい” と思うだろうに、プラチナゲームズは「CD-ROMで駄目だったらデータ添付で送ってください」とか「オンラインストレージに送ってそのURLを共有してみてください」とか、いろんな方法で必死に作品を見てくれようとしてくれて。そういうところにすごく “作品を大切に扱ってくれている” っていうのを感じて、「ああ、もうここに――僕はここに行けたらいいな」と思って、すごくやる気が出たんです。

それで、その後も独学ですけど、本を読んだりネットを見て勉強したり、入社できたときのためにも「自分の持てる力でできる限りのことをしよう」と思って、作品を送った後もゲームを作り続けました。

個人制作の就活作品。相手の写真を撮るゲームでローカル対戦もできます。画像ではわかりませんが、足音も実装していて相手の位置を計算し、音量や左右から出る音の比率を変更しています(山田)

– 作品を送る会社は、どのように選んでいました?

山田:僕、今も和歌山から通ってるんですけど、和歌山ってゲーム会社がなくて。実家をあまり離れられない事情もあって、大阪で探したいな、と思っていたんで、最初は本当にいろんなところに――ぶっ壊れたデータを(笑)――ウイルスのように送りまくったんですけど。

– 大阪の会社に。

山田:そうですね。だから最初からプラチナゲームズに決めてたわけじゃないですけど、就活をするなかで “ちょうどそのとき『BAYONETTA』をプレイしていた” っていうのと、“大切に作品を扱ってくれる、必死に見ようとしてくれている” 対応を見て「ここに行けたらいいな」と目指すようになっていきました。

– 会社説明会はどうでした?

山田:他の会社は「こんなゲームを作ってます」とか「こんな採用形態です」とか、そういう話で終わりだったんですけど、プラチナゲームズの説明会では「ゲーム作りは楽しいけど、新人でもいっぱい仕事を任せるし、しんどいことも多いですよ」みたいな話もあって。

説明会の段階で “楽しいだけじゃなくしんどいこともある” みたいなことをズバッと言っている会社というのは、僕が行った中では他にはなかったですね。しんどさも最初に伝えて、でもそれを乗り越えた先には大きなものが待ってるよ、みたいな雰囲気で、それがすごく衝撃的でインパクトがあったので――最初は広く当たっていたんですけど、そういった色んな要素が重なり合って、プラチナゲームズを目指すようになりました。

– 宇佐美さんは。

宇佐美:就活ではゲームを主に作ろうかな、っていうところから入ったんですけど、まず作り始めたのは、ゲームというよりかは “フレームワーク周り” でした。“こうやったら楽だな” みたいなものをまず初めに組んでおかないと、後でしんどくなるな、と思って取りあえず作ったんですけど、それでかなり時間が食われまして――「うわ、ヤバ」と思いながら(笑)

ただゲームとしても一応遊べるようにはなっていたので、これでやっていこう、と進めていったんですけど―― “面白くならない” んですよね。「うわ、これ大変だ」と思って……ほかの人たちに「こうしたほうがいい」って言われたものもしっくりこないし、「もう面白くするのは諦めよう」と思ってしまって。

で、そこからは以前からちょっとやりたかった “シェーダー” をやりたいな、と思って。そうすると「それをやるためにはフレームワークも変えなあかんな」とか、色々考えながらやっていくうちに「こんな考え方もあるやん」とか――新しい技術を知ることで “ゲームにこういうルールを追加したら面白そう” っていうアイデアも出てきたんで、その辺もやってたんですけど。

――結局ゲームは面白くならなかったですね。そこは反省しているんですけど、得られた技術とかは自分の力になったと思うので、後悔はしてないです。ただ「ゲームプログラマーを目指すんだったら、もうちょっと面白くするべきだったな」とは思いました。

– ちなみにどんなゲームだったんでしょう。

宇佐美:シューティングなんですけど、「めっちゃ敵出てきて、めっちゃ弾撃って、めっちゃ反射してめっちゃパーティクル出る、終わり」みたいな感じです。ホンマ単純にそれだけなんで、面白いこととかは特になくて――そうですね、パーティクルを出して「めっちゃ重いやん、これ」ってなったときに、その軽量化周りでシェーダーをガッツリ、ガーッと診たりとかはしました。「こんな技術あるよ」とかも教えてもらったりしたんで、「そういう技術を組み込むためにはこの知識が要るな」みたいな感じで勉強してましたね。

タイトル画面。自作のシェーダーを使って、ノイズが走っているように見えるよう工夫しました(宇佐美)

WAVE制を意識したシューティングゲームです。とにかく派手なゲームを作りたいと考えました。ライトブルームを使ってオブジェクトを光らせています(宇佐美)

– なるほど。ゲーム性よりは、そういう技術的な部分に力を入れて。

宇佐美:そうですね、技術的なものを。ただ、就活を始めたときにはもう「ゲーム会社に行きたい」っていう気持ちだったんで、ゲームも面白くしたかったんですけど――「あ、無理やこれ」って(笑)。かといって、ゲームのシステム周りを全部組み替える、とかも時間的に無理だったんで、じゃあ「いろいろ考えて無駄な時間を過ごすぐらいだったら、技術的なものを勉強しよう」と思って作っていましたね。

– チーム制作ではなかった?

宇佐美:就職作品は個人で作りました。チームで作っていたときも、基本的にフレームワーク周りは僕しか触ってなかったりします。「作ったからこれ使ってください」みたいな感じでチームに共有して、「これをこうしたら、こういうことができます」とかを説明して――っていう形でしたね。

– 応募する会社はどうやって選びました?

宇佐美:こだわりはなかったです。“ゲーム会社ならどこでもいい” っていうような感じでポンポン出してたら――。

大川:ウイルスパターン(笑)

宇佐美:取りあえず履歴書をウイルスみたいにばらまいて(笑)書類選考に通った会社を受けに行って――。ただ “僕が好きなゲームを作っている会社” 、という点では、ちょっと絞りました。乙女ゲーとかノベルゲーとか、あの辺りは興味なかったし、スマートフォンもどちらかと言ったら興味なかったんで、「コンシューマーで、かつ “僕の好きなゲームを作ってる会社”」という前提でいろいろ調べて、めっちゃ送りまくって、めっちゃ落ちて。

– 会社説明会はどうでした?

宇佐美:『NieR:Automata』をプレイしていたんで、プラチナゲームズは「面白いゲームを作る会社だな」とは思ってたんですけど、説明会に出た第一印象は「うわ、スキンヘッドが居る!」からの――。

山田:やめろやめろ!(笑)

宇佐美:「――うわ、もう1人居る!」みたいな(笑)

大川:カット、カット!

宇佐美:「めっちゃ怖いやん!」とか思いながら――。

山田:確かにちょっと怖いイメージはあるよね。少しは。

宇佐美:で、山田も言ってたんですけど、説明会で「ゲーム作りは楽しいだけじゃない。仕事もどんどん任せるし、しんどいこともある」って聞いたときは……正直、“ウッ” って思いました。

一同:(笑)

宇佐美:――思ったんですけど(笑)、ただ「新人のうちにいろいろやれたほうが今後のためになる」って思ったんで、“受けない” って選択はなかったですね。“ウッ” とは思ったんですけど、「だからこそ受けるべきだ」って思いましたし、実際に「いろんな仕事をやるべきだ」って思ったんで。

– “厳しい会社” だとは思ったけど。

宇佐美:思ったけど、「だからって逃げてるようじゃ、たぶん成長できないな」とも思ったんで、じゃあ受けよう、って。もちろん受かるつもりでしたけど、それまでにも落ちまくってるんで、正直そんなに自信はなかったです。――ただ、それまでにいろいろ学んだことも含めて全部ぶつけたつもりなので、そこを評価してもらえて、受かったのかなとは思ってます。

– 大川さんは。

大川:就活への取り組みに関しては、専門学校の先生から「ゲーム業界は書類よりも “提出する作品が全て” みたいなところがあるから、“作品” をちゃんと作っていきましょう」と聞いていました。

学校では「エンジン周りを触ってた」って言ったんですけど、今後はそこよりもアプリケーションの部分、“ゲームの遊びの部分” がやりたい、ってことをアピールしたかったんで、就職作品では自分が手がけていたチーム制作の作品をそのまま引き継いで、それを「拡張して出す」っていう形にしましたね。もともとエンジン部分を手がけてたんで、そこをアピールしないのはもったいないかな、というのが1つ目の理由で、もう1つはゲームの遊びの部分をアピールするにしても、そのためにエンジンを新しく作り直すのは時間がもったいない、という理由で。

そうやってチーム制作の作品を引き継いで、新しい遊びの部分を自分でポンポン詰め込んでいく作り方をすることで、“エンジンでこんな技術使ってます” というアピールと、“こういう部分にこだわっていて、こういう遊びをさせたい、という思いで作りました” というアピールを両方しよう、と意識してましたね。

– チーム制作のバージョンと一緒に渡して、比較できるようにしたりは?

大川:してないです。テキストで「これはチーム制作のもので、“自分はここと、ここと、ここを担当しました” 」っていうのをちゃんと明記して。拡張した部分に関しては――新しくボス戦を作ったんですけど、それに関しては “こういう理由があったので、こういうふうにしました” って、実装した理由をきちんと書くようにしました。

就活作品プレイ画面。光のあふれ表現をシェーダーで実装したものです。シェーダーを使ってみると一気にゲームの印象が変わるので、触ってみて損はないと思います!(大川)

就活作品開発画面。近くの景色に比べて遠くの景色の方がぼけて見えると思います。これはカメラのピンボケ現象をシェーダーで表現したものです(大川)

– なるほど。受ける会社はどういう基準で選びました?

大川:もともと自分も山田とか宇佐美と一緒のウイルスタイプで(笑)――はっきり言ってしまうと、「ゲーム業界だったらどこでもいいかな」、「技術力が高い会社だとなお良いな」ぐらいの気持ちだったんです。だけど学校の先生から「大川くんはたぶんプラチナゲームズがすごく向いてると思う」と言われたので、じゃあ説明会に行ってみようか、っていう感じで行ったんですよね。そしたら――これも山田と一緒なんですけど、先輩社員の言葉が結構印象に残って。「新人でもいろいろ仕事を任せるよ」みたいなことを言われたときに、自分は、“ウッ”、と思ったんじゃなくて、“おっ”、と思ったんで(笑)。――新人であっても、ゲームのクリエイティブな部分とか遊びの部分にはこだわりを持って作りたかったし、その点は “キャリアに関係なく、意見を汲み取ってくれる” という意味だと受け取りました。

あとは説明会で “デメリットになるようなことも言う会社” ってほとんどなかったのに、そこもはっきり言ってくれるのは “正直な会社” だな、と思ったのも志望した大きな理由です。

– プラチナゲームズ作品もプレイされたんでしょうか。

大川:しました、しました。説明会のあとだったんですけど、『NieR:Automata』をやって、もっと好きになった感じですね。

(後編につづく)


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