お疲れ様です。プランナーの柴田です。
プランナーは「おもしろさ」のしくみを考え、それを具体的に示すのが仕事です。
ベヨネッタでは、どう「おもしろさ」を組み立てたのか?
今回は、それを解説します。
本当は「おもしろさ」が評価されてからする話で、発売前に書くのは、身の程知らずな気もしますが。

ところで最初に断っておきますが、絵の描き方が人それぞれ違うように、「おもしろさ」の組み立て方も人それぞれ違います。
ここでの話は、ぼくの考えであって、神谷君がどう考えているのかを理解して書いているわけではありません。

それでは解説に入る前に、まず基本的な人間の心の流れを、簡単に説明しておきます。

心は、“感情”と“衝動”に分けられます。
感情から衝動が生まれ、衝動から新たな感情が生まれます。
感情 → 衝動 → 感情
これが心の流れです。

実際はこうなります。
怒り(感情) → 殴る(衝動) → 爽快(感情)
こんな感じです。

重要なのは、衝動の後に感情が“逆転”する事です。
これを憶えておいてください。

①『“衝動”が「おもしろさ」の中心』

このプロジェクトで、神谷君がぼくらに最初に示したのが、主人公の戦闘イメージです。
まずは人間の心にある“破壊の衝動”にあたる部分のビジョンを、明確にしたわけです。
(この時に作られたのが、モーションの回で紹介されたプロトタイプです)

破壊は、人間の心にある、最も強い衝動の1つです。
自然界で生きるのに、破壊をためらっていては、食べる事や、身を守る事が難しくなるからです。

しかし人間は、社会という自分たちの群れの中では、この衝動を抑えないといけません。
破壊衝動を互いに向けると、自滅してしまうからです。
つまり人間は最も強い衝動を、日々抑えて生きているわけです。

この日常で抑えている衝動を開放させる事が、現実では味わえない「おもしろさ」につながります。
破壊という強い“衝動”が「おもしろさ」の中心になるのです。

ただし、これだけではまだ、ちゃんとした「おもしろさ」にはなりません。
衝動は心の一部でしかないからです。
破壊の部分はすごいのに全体ではおもしろくないゲームや映画や本があるのは、この前後が抜けているからなのです。

②『衝動を生む“感情”が「おもしろさ」のきっかけ』

なぜ衝動だけでは「おもしろさ」ができないのでしょうか?
それは衝動が、いつも心の中に存在するわけではないからです。
破壊したいという衝動がない時に、いくら破壊ができても、「おもしろさ」にはつながりません。
満腹でものを食べても、美味さを感じられないのと同じです。
まずは破壊衝動を生むための“感情”が、きっかけとして必要なのです。

ここで重要になるのが、感情における刺激の強さです。
代表的な感情を、刺激の強さで並べるとこうなります。
1:悲しみ
2:愛・恐怖
3:怒り
4:嫌悪
5:笑い
刺激が強い感情ほど、大きな衝動を生むのです。

破壊衝動を生む感情で一般的なのは“怒り”です。
しかしこの感情は、刺激がそれほど強くないのが問題です。
衝動を生むための補助にはなりますが、メインの感情にするには物足りません。

最も刺激が強いのは“悲しみ”ですが、この感情は、むしろ衝動を消してしまいます。
人間は本当に悲しいと、何をする気もなくなってしまうからです。

2つの感情の組み合わせとしては、悲しみから怒りにつなげるという、復讐劇のパターンがあります。
悲しみが入るため刺激が強く、生まれる衝動も大きくなります。
もともと神谷君が書いたシナリオにも、多少はこの要素が含まれています。
しかし破壊衝動を生むための感情を、悲しみメインにすると、後で「おもしろさ」に支障が出るのです。
(これについては、後で説明します)

全ての感情を説明していると長くなるので省略しますが、大きな破壊衝動を生むのに最も適している感情は、実は“恐怖”です。

なぜなら恐怖は、人間をより攻撃的にします。
恐怖は逃げていても無くならず、消すためには、立ち向かって破壊するしかないからです。
人間が肉体の強さを求めたり、より強力な兵器を作り続けるのも、恐怖があるからです。
恐怖によって生まれる破壊衝動は、怒りから生まれるものよりも大きいのです。

さらに恐怖は、何よりも人間の注意を引く力があります。
身を守るためには、恐怖となるものをいち早く見つけ、それがどこに向かうのかを見極める必要があるからです。
災害現場にやじ馬が集まるのも、犯罪報道の視聴率が高いのも、このためです。

というわけで、恐怖となるものさえ用意すれば、人間は勝手にそこに注目し、身を守るために大きな破壊衝動を生みだします。
感情から衝動へと、自然な心の流れができるわけです。
恐怖という強い“感情”があるからこそ、大きな破壊衝動が生まれ、「おもしろさ」のきっかけができるのです。

こうしてメインとする感情さえ決めてしまえば、後はそれをどうやって高めるかを考えるだけです。
よくある恐怖の対象としては、敵の存在が一般的です。
そしてより恐怖を高める手法としては、敵をとにかく大きくするとか、たくさん出すとかいうような方法があります。
しかし、これらはありふれていて、よほどの工夫がないと、今さら人々に強い恐怖を抱かせる事はできません。

そこでベヨネッタでは、敵が引き起こす大災害を、敵と並ぶほどの恐怖の対象として、全編にわたって大きく取り入れることにしました。
大災害が進行している最中に、その中でリアルタイムで敵と戦う事で、恐怖という感情を高め、より大きい破壊衝動を生み出させるのです。

これがベヨネッタのテーマである“クライマックス・アクション”です。

しかし、これでもまだ、ちゃんとした「おもしろさ」になったわけではありません。
この後に感情がどう変化するかが、最後の重要な部分です。

③『感情の“逆転”が「おもしろさ」のキモ』

そもそも感情から衝動が生まれるのは、その感情を好ましいものに変えたいからです。
空腹の時にものを食べたくなるのは、空腹を満腹に変えたいから、というのと同じです。

そこから気持ちが良くなるのは、好ましい方向へと感情が“逆転”された時です。
ひどい空腹から、満腹になれば、ものすごく心が満たされるのと同じです。
とんでもない恐怖も、それが安心へと逆転した時に、最高に気持ちが良くなるわけです。

この感情の“逆転”による気持ち良さこそが、「おもしろさ」のキモです。
きっかけとなる感情も、そこから生まれる衝動も、感情を逆転するための手段でしかないのです。

そして、この逆転の差が大きいほど、「おもしろさ」も大きくなります。
恐怖がより強ければ、その後の安心との差が大きくなり、さらに大きな「おもしろさ」になるというわけです。

しかしこのしくみには、1つだけ注意する事があります。
どんなに刺激の強い感情をきっかけにしても、逆転できなければ「おもしろさ」にはならない、という事です。

例えば悲しみは、破壊では元には戻せません。
悲しみから復讐を行っても、どうしても後に虚しさが残ってしまいます。
そうすると感情が逆転できず、結局は「おもしろさ」になりません。
破壊衝動を生むための感情を選ぶところで、悲しみをメインにしなかったのは、このためです。

「おもしろさ」においては、感情を“逆転”する事が最優先となるのです。

そしてベヨネッタでは、恐怖の対象を大災害にした事で、この逆転をより劇的なものにできました。

本来ならば災害は、人間にとってはなかなか立ち向かえないものです。
特に噴火や竜巻のような大規模な自然災害は、過ぎ去るのを待つしかありません。
しかしベヨネッタでは、災害を生み出している敵を倒す事で、この災害を止められます。
破壊の力で、噴火や竜巻を消せるわけです。

というわけでベヨネッタでは、敵を倒した時にたまたま嵐が過ぎていたみたいな、なんとなくの理由で空が晴れたりはしません。
嵐を発生させていた敵を叩き殺す事で、自分の力で嵐を消し去るのです。
そうして壮絶な戦いに勝った後、青空が広がる時の気持ち良さは、現実では絶対に味わえないものです。

この、破壊による逆転の“気持ち良さ”こそが、ベヨネッタにおける“クライマックス・アクション”の「おもしろさ」です。
これでようやく、ちゃんとした「おもしろさ」になったわけです。

ものすごい長文になってしまったので、このへんで終わりますが、これでも解説できたのは「おもしろさ」の大枠でしかありません。
ベヨネッタの中には、もっと多彩で深みのある、色々な「おもしろさ」が詰まっています。
(ほとんどが、神谷君の天才的センスによるものですが)
それらは発売されたゲームの中で、楽しんでください。