初めての機材はTR-rackでした

サウンドデザイナー新人のイズミナです!

プラチナゲームズのオフィスのある梅田スカイビルでは
合同説明会がよく開催されているので
就活生の方がたくさんいらっしゃいます。
大学の後輩に偶然会ったりもしました。

「イズミナさんほんとに働いてたんですね!!」
って言われました。
「えっうん…就活がんばってね!」
って言いました。
就活生のみなさんがんばって下さい!

自分の就活は一昨年のことかと思うと月日が過ぎるのは早いものです。

一昨年の今頃は大学院の試験(後期)に落ちて
留年を決意してあわあわしていたものですが
もし落ちていなかったら思い切って大学の専攻とまったく関係ない
サウンド職を志望することもなかったのだろうかと思うと、
なんだかご縁って本当にあるんだなぁと今更しみじみ。
 
 
落ちてなかったらやる気のないまま食品会社とか検査機関とかを受けているのかな…
まぁそんなんじゃ就職決まってないかもですね。
結局きっと思い切って志望していたと思います。

どちらにせよ志望したんですね、こりゃもう運命ですね。

しかしすねかじり大学生で留年したにもかかわらず専攻と関係ない就職を志望した
僕を快く応援してくれた両親には本当に感謝しています。
親孝行するぞー
 
 
えーとそもそもなんで院試を落ちるぐらいのめりこんだ宅録をはじめたんだろう?
ということをつらつらと思いだすに…

高校に入って初めて携帯電話を買ってもらったときのことでしょうか。
MOTHER2の着メロが欲しい、どうしても欲しい、しかし探しても無い…
 
 
「(無いなら自分で作りなさい…イズミナよ…)」

「えっなんか変な声聞こえてきた…
あっオリジナル着メロ作成機能ってのがあるみたい」

当時のJ-PhoneのSH-08という機種。
そこについていたオリジナル着メロ作成機能。
ただ、そのSHシリーズと呼ばれるその携帯は他の機種には無い、
「オリジナル音色制作」機能が唯一搭載されていたシリーズだったのです。
 
 
全32波形を8パターンのキャリア、モジュレータの組み合わせで変調出来る
ちょっとしたFMシンセが入ってたんですね!
(しかし今だとiPhoneやDSでもっと本格的なシンセで音作りできてしまうので
すごい世の中になったものです)

写メールがちょうど流行り出したあの頃、カメラよりも僕はその機能に対して

「何これ?面白そう!?」
と訳も分からないまま魅力を感じ、
今思えばとても簡素な画面でしたが
譜面を打ち込む楽しさ、音色作りの楽しさを知りました。

欲しい着メロは自分で作ろう精神で高校の頃にずっと作っていました。
ほとんどゲーム音楽でしたね。
如何に原曲の音色似せることが出来るか…?といったことにこだわりを持っていたり。
 
 
そんなこんなでバレーボールと着メロ作り(と学業)に精を出す
サワヤカ高校生活を送るうち
大阪の秋葉原、日本橋でんでんタウンの某書店で薄い本を買うようになった僕は
インディーズ音楽の世界を知りました。

「DTM?宅録?自主制作音源?面白そう!?携帯で曲作るよりスゴそうだ!!??」
大学入ったらPCを買って、機材を買って宅録をはじめよう、
そう固く心に誓って大学へ入学しました。

今だとニコニコ動画やyoutubeを見て「やってみたい!」と思う方も多いのかな?
そんな感じです。

そうして今に至ります。
 
 
「楽しそう!自分もやってみたい!」

と思ったこととの出会いって誰でもそうだと思いますが
全部偶然なんですね。

そんな偶然をこれからも大事にして、
「やってみたい!」と思ったことには迷わずチャレンジといった気持ちは
いつまでも持ち続けたいしチャレンジして後悔するより、しないで後悔することのほうが多いです。
また、持てなくなったら色々終わってしまうという危機感も感じます。

しかし社会人になるとお金がかかるチャレンジ
以前よりガンガン出来てしまうので困ったものですね。困ったものです…

ただ学生の方にはお金は無いけど時間はあると思うので
徹夜でゲームとか朝までゲームとか寝ないでゲームとか
今のうちに是非是非!
冬休みに久しぶりにやりましたが徹夜でゲームははやはりいいものです!

One thought on “初めての機材はTR-rackでした

  1. 3日は寝ないでゲームできます。今やったらきついですけど。
    社会人になったらゲームやる時間って限られますよね。

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