進んできた道

前回、同期のみんなに別の呼び名が広がった、と書きました。
じゃあなんて呼ばれてるのかといえば、
 

「マスター」
 
 
と呼ばれてます。
自己紹介で「C言語マスターと呼ばれることがありました」なんて言っちゃったもんだから、

 同期「じゃあマスターって呼ぶね」
 私 「え? ちょっ」

正直やめてほしいんだけどな。

浸透するのがあまりにも早くて、やめさせる機会のないまま今に至ります……。
 
 
というわけで、新人プログラマーのソガ氏です。
前回の話題は、私がゲームを作りたいと考えるようになったきっかけでした。
今回は、その後プラチナゲームズから内定をもらうまでの経緯でも書きましょうか。
 
 
プログラムを知り、プログラムが面白いと思うようになったのは高校生の頃です。
高校といえば、進路を決めなければならない時期。
とりあえず大学に進学するのかな、就職とかは大学で考えようかな、なんて漠然と考えていたのですが、そうもいかない状況になりまして。
まあ、かなりの紆余曲折があったわけです。
 
 
進路をどうするか、すぐにでも決めなければならなくなり、最初に思ったのは、自分はプログラムで何かを作ることが好きだということでした。
だったら、そういう仕事を目指せばいい。
じゃあ、プログラムで何を作りたいのかと言ったら、やはりゲームだろうなと。
ゲームで遊ぶのが好きだということもありますし、前回の日記に書いたように、友人に面白いと言ってもらえるものを作りたいと思ったことも、大いに影響しています。
ゲーム制作の専門学校へ進学したのは、このように考えたからです。
優柔不断な性格をしてますが、この時はあまり迷った記憶がありません。
 
 
そして、専門学校でカオスな充実した日々を送り、学生生活も終わりに近づくにつれ、就職活動というデカイ山が迫ってきました。
実は、ゲーム制作を仕事にしたいと考えた割には、当初はどこの会社へ行こうとはっきり決めていたわけではなかったです。
さらに、就活を始めるまで、プラチナゲームズという会社のことなど全く知りませんでした。
 
 
プラチナ行きたい! と思ったのは説明会のとき。
説明会で「ベヨネッタ」のPVを見て、

「すげー」

と思ったこと、これに尽きます。

「すげー」と思わせてくれたからこそ、他のだれかに、同じ感動を与えられる仕事ができるだろうと考え、プラチナゲームズに応募しました。
思いのほかトントン拍子に選考を通ってしまって、嬉しい反面、本当に大丈夫なのかとビクビクしていましたが、その心配も杞憂に終わり、無事に内定をいただきました。
そのときの喜びを、今でもよく覚えています。
 
 
なんだかエントリーシートにでも書くような内容だった気がしますね。
2年ほど前に、こんなような内容の文章を書きまくってたのが懐かしい。

2012年の新卒のみなさんの就職活動が始まる頃ですが、不況に負けずに頑張ってほしいと思います。
では。