ヘンポ

みなさま、ご機嫌いかがですか?
新人2年目デザイナーの舟橋です。

今回のフレッシュマンブログのお題は『ゲームのキャラクターになれるとしたら』です。
さて、何になりましょうか。

パッと思いついたキャラクター、そのほとんどが悪と戦うヒーローたちですね。……う~ん、却下です(笑)。シンドそうだから。運命に翻弄されたりするのも、願わくば遠慮したい。憧れはしますが自分がそうなりたいかと言えば、また別の話です。せっかくなのだから、もっとありのままに、自由にミラクルなパワーを行使したい……。

と、言うことで今回私が選んだ「なりたいゲームのキャラクター」は「巨人のドシン」です。

ドシンはとある南国の島「バルド島」に突如現れる黄色い巨人です(そしておへそと○○○の間にヘンポという突起があります)。

「巨人」と呼ばれるだけあって、非常に力持ち。頑張れば持ち上げられないものは無いし、自然災害とも戦えます。なんとな~く海に陸地を作ってみたり、それとな~く島民をさらって遠く離れた別の村に投げ入れてみたり、深緑の中にたたずんでみたり、時々つまずいて家とかペシャンコにしてしまったり―――。そして日が暮れると共に消えていきます。

何かしても良いし、何もしなくても良い。
こんな毎日の繰り返しでゲームは進行します。

イチバンの魅力は何と言っても、そのパワーです。バルド島に存在するあらゆるモノをコントロールしてしまえるチカラがあり、それでいながらそのチカラの使い道は特に決められていません。破壊も創造も無駄遣いもすべてプレイヤーの意のまま。島民を守るため、竜巻の前に悠然と立ちふさがったかと思えば、自分本位にAとBの島を結ぶ一直線の道を1日で作ってみたりもします。

また、ドシンが島の人々に認識されている点も魅力のひとつであり、ゲームに深みを与えている点だと思います。シム系のゲームには、都市や建物の運営者(=プレイヤー)がそこに住む住人に認知されているものとそうでないものがあるのと思うのですが、私の好みは確実に前者です。リアクションは用意されていればいるほど嬉しいですから。

ドシンは、と言うと認識され過ぎているくらいで、島民の感情次第でステータスにまで変化が現れます。端的に言うと、人々の意識の中でドシンの存在が大きければ大きいほど、ドシンそのものも大きくなり、より強いチカラを手に入れるのです。逆に注目されなければ体長も20メートル止まり。

天変地異に匹敵する大きなチカラと、人々の意識に比例して大きくなる存在
ドシンは巨人であり、そしてバルド島における神さまでもあると考えられます。

「じゃあ、神さまになりたいの?」という問題に発展してきますね。素直に「はい」なんて答える事は出来ません。単なる不気味なヤツです(笑)けれど、本当に人類の本能の奥深いところでは完全に否定しきれない問いなのではないかとも思います。露骨に口には出しはしないけれど、想像するに、後ろめたさと同時に得られるであろう優越感への羨望。そんな人間のいじらしい欲求を、非常にソフトな表現で満たしてくれているのが「巨人のドシン」というゲームだと私は考えています。

子供の頃、雨上がりに公園に出来た水溜りの中に土や小枝や落ち葉、ストローなんかをレイアウトし、そこに捕まえてきた(憐れな)アリを放して、「アリの国」づくりに夢中になった記憶がありますが、あの時、公園の片隅で黙々と泥をいじっていたのは紛れもなく「ドシン」そのものでした。

「巨人のドシン」に限らず、そうした人間の本能に強く訴えかける、あるいは幼少の頃の「楽しい」想いを追体験できるゲームには魅力を感じずにはいられません。自分より大きなモノによじ登っていったり、ペットと仲良くなったり……子供の頃、多くの人がきっと楽しいと感じたであろうことが、ゲームにカタチを変えても受け入れられやすいのも、当然の成り行きと言えばそうかもしれません。

そんなこんなで、幼少の頃の感性や楽しいと思った出来事は出来るだけ忘れたくないですし、そうしたことを想起させてくれるゲームは出来るだけ遊んでいきたいですし、そして自分もそうした観点からゲーム作りというものと向き合っていけたら、と考える次第です。

それでは、また次回ですッ!