芸術の秋です。
秋刀魚が美味いです。秋刀魚は芸術です。
特に、お腹の脂の乗り具合は絶妙です。
大根おろしとのコンビネーションは、まさに鬼に金棒。
イチロー関連の書籍も大変興味深いです。イチローは芸術です。
タイ・カッブやテッド・ウィリアムズなどの伝説と肩を並べる
イチロー選手の非凡な才能に関する記述。
打撃と走塁モーションを同時に行なって、ゴロを内野安打へと昇華させる
独特のバッティングセンスと、バットコントロールの上手さは特筆もの。
35歳のイチローにも脂が乗っています。
鬼に金棒。
イチローにバット。
秋刀魚に大根おろし。
ブログに滝沢。(傲慢)
さて、芸術の秋ということで、美術展に出向く機会がありました。
ルーブル美術館展では、紀元前1200年頃のボードゲームを目撃しました。
日本は弥生時代です。当時には、もうサイコロが発明されていたんです。
ガッタガタのサイコロでしたので、おそらく均等に6分の1ではありませんが
確率の偏りがあったとしても、それはそれでゲームの要素にはなりそうです。
神戸の「だまし絵」展では、ダリやエッシャーなどの巨匠の作品と一緒に
ここ数年間に生まれた若い芸術作品も展示されていました。
中でもパトリック・ヒューズ氏の「水の都」という作品には度肝を抜かれました。
最初、わたくしの目には映像作品が飛び込んで来ました。
ドリー撮影された実写映像のような滑らかさで、わたくしの歩調に合わせて 町並みが右から左へと自然に流れていくんです。
なぜ歩調と同期しているのかが解らず、とても不思議な体験でした。
気になって作品に歩み寄ってみると、意外にもそれは静止画だったのです。壁に掛けられた絵。しかし、ただの絵ではありませんでした。
思わず「なるほど」と唸ってしまうほどのトリックが用意されていました。
限りなくアナログで、だからこそリアリズムの溢れる、古典的で斬新な手法。
具体的なトリックは、ここに書くとネタバレになってしまいますし、文字だけで 感動を与えられるような表現力を、自分は持ち合わせていませんので
答えを知りたい方は、ぜひご自身の目で確かめていただきたいです。
(あらかじめ注意しておきますが、ネットで検索なんてしたら勿体無いですよ)
ようやく本題なんですが、ふと思ったこと。
例えば、前述したような美術展では、カフェやスーパーの店内で何気なく放送されているようなBGMが、一切流されていませんでした。
人の足音と、感嘆、ささやき声、子どもの泣き声・笑い声、職員の案内、空調
といった雑音を除外したとすれば、そこはひっそりと静まり返った空間です。わたくしのイメージでは、美術館と言えば、ムソルグスキーの『展覧会の絵』みたいな音楽が連想されるところですが、実際には全くの無音だったんです。 では、どうして無音なのでしょう?
飽くまで、これはわたくし自身の推察でしかありませんが
こういったオムニバス形式(作者多数)の展覧会の場合、それぞれの作者が各作品に込めた思惑やポリシーには、決して一重にまとめきれるはずもない多様性があって然るべきです。
そして、このように複雑にせめぎ合った意図のギャップを、等しく埋められるようなBGMは、この世に存在しないのだと思います。仮に、存在したとしても
その選曲とは、作者同士が集まって譲歩し合った結果として得られる無難な妥協点でしかないでしょう。
従って、作者個人および各作品の持つ人格権(特に同一性保持権や公表権)を尊重するという意味で、既存の音楽を迂闊にはBGMとして流すことが出来ないのかもしれません。
逆に、一人の作者のための個展のように、単一指向性のシンプルな展示形式であれば、ひとりの作者が自分の好みでBGMを選ぶことも出来るんですが。
無音というのは寂しいですが、上記の理由だとしたら仕方ないですね。
弥生時代にサイコロあったなんて驚きです!
だまし絵は本当に面白いですね。
平面なものを面白いですが、立体的なものは不思議な感覚になりやすくて凄く好きです。