大変お待たせしました。ICHIでございます。
今回はフレッシュマン座談会の第二回、新人アーティスト座談会をお届けしたいと思います。アーティストと一口に言っても、その中にはさまざまな分野が含まれていますが、今回はアニメーター、VFXアーティスト、コンセプトアーティスト、キャラクターモデリングアーティストと、すべて違った職種のメンバー4人に集まってもらいました。さあ、それぞれどんな経歴や考え方を持っているのか? 違いは? 共通する部分は? などなど、お楽しみいただければ幸いです。


– まずは自己紹介からお願いします。

藤宇:藤宇です。出身は大阪で、学生時代は地元の専門学校で、アニメーター志望としてゲーム業界で働くために自主制作やゲーム作品作りなどをして、そのままプラチナゲームズに入社できた形です。好きなゲームは最近だと『シャドウ・オブ・モルドール』とか、あと『Marvel’s Spider-Man』も少々ハマっていたり。主にアクションゲームを好んでプレイしていたんで、アクションゲームを作りたくてプラチナゲームズに入社しました。

増尾:増尾と申します。出身は大阪の北部で、京都の美術大学に進学して、もうゴリゴリのアナログで日本画を専攻してました。好きなゲームは任天堂の『ピクミン2』です。あと、『とっとこハム太郎』シリーズや、『ファイナルファンタジーVIII』。アクションだったら、『大神』がダントツで好きです。

本間:本間です。出身は名古屋市で、東京の美術大学で4年間、油絵を専攻してました。ファインアート、立体作品もやったりして、基本は私もアナログで――でも、もともとデジタルで絵を描いたり、ゲームもすごい好きだったんで、2年生のころ「やっぱりゲーム会社に行きたいな」と思って、こちらに来ました。一番好きなゲームは『サイレントヒル2』です。あれは本当に世界観が大好きで、ゲーム会社を目指したきっかけですね。アクションゲームだと『Bloodborne』が好きです。

劉:劉です。中国の西のほうの蘭州という町から来ました。大学のときは中国で2Dアニメーションをやってきて、日本に来てから初めて3DCGを触りました。ゲームは『ぼくのなつやすみ』が好きで、あとは『American Truck Simulator』っていう、ひたすらトラックを運転して荷物を運ぶっていうゲームが好きです。アクションだったら、昔のものが好きで――『鬼武者』とかですね。

本間:懐かしい。

劉:あと、『アサシン クリード』シリーズ。設定が好きです。

蘭州は色んな面白い建物が混ざった街です(劉)

蘭州と言えば、手打ち牛肉ラーメンだ! ちなみに東京の神保町には「馬子禄(マーズルー)」という、本場から日本に上陸したお店もあります!(劉)

– ではさっそく、ゲーム業界で今の職種を目指した経緯について、順にお聞きしたいと思います。

藤宇:ゲーム業界を目指す大きなきっかけになったのは、高校時代の就職活動で。工業高校で、みんな工場関係への就職活動をしてたんですけど、その際に――。もともと機械が好きだったんで、機械に携わる仕事に就こうかな、とも思っていたんですけど、それよりもゲームとかアニメとかのフィクションを作る仕事――ゲーム業界に行きたいな、と思い直して。「もう就職活動をやめて、専門学校へ行きます」って。

増尾:知らんかった……。

藤宇:アニメーター志望になったのは専門学生の1年生のときで、ゲーム業界に入るのを目指すうえで「ある程度いろんなジャンルのことを一通り体験する」という授業がありました。2D、3Dモデリング、背景、と触っていくなかでモーションも触る機会があったんですけど、モーションが一番楽しかったんですね。プレイヤーの目に入ることが多かったりとか――。動きで人を楽しませるのが好きだったのかな。小さいころから習い事でダンスもやってたんで、かっこいい動きで人をわあわあ言わせるのが好きだったのが、たぶんずっと根本にあって、アニメーター志望に落ち着いたんだと思います。

– 増尾さんがゲーム業界を目指したきっかけは?

増尾:1人っ子だったんで、小さいころから1人で遊ぶことが多くて。そのときにRPGのゲームとかが、もうぴったりだったっていうか、一番お世話になった。で、絵も本当に物心がついたころからずっと描いていて、もう美術以外を生業にするつもりはなくて。それで美術を活かせる職種で、“本当に一番好きなもの” を考えたら――。自己表現するための画家活動とかではなくて、自分が小さいころにめちゃくちゃお世話になって、すごい影響も受けた「 “ゲーム” を作っていきたい」っていう気持ちがあったから、ゲーム業界を選びました。

– 美大に入ったときの志望はまだ「ゲーム業界」ではなくて、「絵の仕事」だったんですか?

増尾:2割ぐらいはそうだったんですけど、そもそも美大を志望するときに「某大手ゲーム会社は美術大学生を採る」っていう噂を聞いていて。

– そんな噂が(笑)。高校のときにですか。

増尾:高三の受験のときですね。そのときにちょうど、美術展を観に行ったんですよ。そこで日本画を初めて観て、「これ、すごい!」って。もう本当に、ものすごく感銘を受けたんですね。「私もこんなきらきらした岩絵の具で絵を描きたい」っていう気持ちが、ぼんっ、て出てきて。それに “ゲーム業界も志望できる日本画”、「わあ、すごい、これ、行くしかない!」と思って、美大に進学して日本画を専攻しました。

本間:私の場合は親も結構ゲーム好きで、小さいころからファミコンとかPS1、PS2をずっとやっていて。そうやってずっとゲームと一緒に過ごしてきたんで、当たり前のように「ゲーム会社へ行きたいな」って小さいころから思ってたんです。それに自分自身、絵を描いたり、世界観を妄想したりするのがすごい好きで……それで「自分の理想の世界とか、自分がつくりたい世界をつくるにはどうしたらいいんだろう」って考えていた先に、“ゲーム” があったんです。自分がその世界の中で歩いたり、走ったり、攻撃したり、戦ったりできる――まさに “世界がつくれる業界” やな、って。それで、小学校か中学校ぐらいから真剣に「ゲーム会社へ行きたい」って、ずっとそれを目指して絵を描いてました。まぁでも、自分の技術が追い付かなかったときのために、高校では商業科で会計の勉強もしていたんですけども(笑)

– 保険掛けて(笑)

本間:そうなんですよ(笑)。保険掛けて、情報処理とかExcel、Wordとか、そういう勉強もやっていて。
 でも “商業高校から美大に行く”っていうのは基本的にあり得ない話で、すごい大変でした。先生に「美大へ行きたい」って言ったとき、「正気か?」って言われて。「だったら、うちの学校には美術の先生がいないから、自分で頑張りなさい」って。そんな感じでしたね。

増尾:うわ……。

本間:それで、美大で油絵を学びつつ――。油絵は、私も感動しちゃったから。私の場合は美大受験のために通ってた予備校の恩師がすごい油絵作家で、本当にそれまで油絵は触ったことも見たこともなかったんですけど、その先生に油絵を見せてもらったり、油絵についてどんどん触れていくうちに「めっちゃ面白いな、この画材」ってなっちゃって。それで油絵科を専攻したんです。油絵って感情表現とかが、すごくしやすいんですよね。抽象画とかはやっぱり――あの質感が非常に独特で、なんかこう、私のねちゃねちゃした、どろどろした感情をまさに表わせる(笑)

一同:(笑)

– ゲームを作るのに油絵が役に立つぞ、みたいな考え方は?

本間:私の場合は、ゲームが好きな理由に “世界観” があるんですけど、その世界観というのも、何か匂いがしたり、独特の質感があったり、すごくリアルにその世界を感じられるようなものだったり、人間の五感に障るような怒りとか、憎しみとか、恐怖感――。感情をゲームで感じられるような世界観がすごい好きで。油絵もそういう感情表現が非常に豊かで、同じようなものが根底に流れている気がするし、そういうところで感情を揺さぶったり、表現したりすることを学ぶのは、ゲーム作りにも役に立つんじゃないか、とは思っていました。

– なるほど。それで美大に進学して。

本間:美大に進学後はゲーム会社に入るために、学校で油絵を描きつつ、家では自主制作でデザインを勉強したり、キャラクターの絵を描いたり、背景の絵を描いたり――Photoshopとかを使ってアート制作、っていうスタイルで生活していました。

– 就職活動も結構早めに。

本間:もう大学2年から、ゲーム会社に照準を合わせてやってましたね。

劉:僕は小さいころから “ゲーム好き” だったっていうのはもちろん、ゲーム業界を目指したもう1つの理由としては、ゲームを遊んだ人に「あっ、このゲーム、めっちゃいいな」って感じてもらいたかったからなんですよ。例えばディズニーのアニメを観てすごく感動したとき、僕は「この映画を作った人たち、本当にいいな、そういう人になりたいな」と思うんですが、同じように誰かが自分の作ったゲームを遊んですごく感動してくれたら――。そういうふうになりたいな、と思ってゲーム業界に入りましたね。本当に、“遊ぶより作るほうが好き” なんです。

– そのなかでも、絵を描くことがよかった?

劉:小さいころからずっと絵を描いていて、でも僕の高校には美術の授業がなかったので、美大を受験するために別の学校にも毎日通ってました。大学では「ゲーム作りを仕事にするために一番近道なのは、たぶんアニメーションだろうな」と思ってその学科を選びました。工業、インダストリアルデザインとか――そういう学科はあんまりゲームとは関係ないなと思って。

– そのときはもう、日本を意識していた?

劉:そうですね。本当にそれは全部、“日本に来るための道筋をつくるため” っていう感じだったんですよ。高校のときからそうだったので、大学を卒業したら、すぐ日本のゲーム会社の中国分社に入りました。「もしかしたら日本に行けるかな?」と思ったんで。でも働いてみたら、ちょっと違っていて――。制作をメインにしていたんですけど、例えば1カ月分の作業で何か作っていたとしても、それがどんなゲームのどこの部分なのか、みんな知らないんですよ。周りの人も「PS4って何だ?」って知らないぐらいで働いてる感じだったんです。

本間:すごいな……。

劉:「これはやっぱり違うな」と思って、仕事を辞めて――もともと、昔から「日本に行きたい」って言ってたんだし、それを忘れちゃ駄目だなと思って、仕事を辞めて日本に来ました。

– それで日本に来て、まずは3DCGを学んだ。

劉:最初は日本語が分からなくて、まず日本語学校に通わないといけない、っていう状況になってしまったんです。で、1年間ぐらい日本語学校に通って。普通は2年間通うんですけど、僕はもうすでに一度大学を卒業して、ちょっと働いてもいますし、「卒業するまで通ったら30歳近くになっちゃう」と思って、途中で辞めました。

増尾:へえ、知らなかった。

劉:それから3DCGの専門学校に入りました。専門学校も2年と4年のコースがあったので2年コースを選んで。期間は短いんですけど、「頑張ったらなんとかできるだろう」と思って。3DCGは本当にそのときに初めて触り始めたんですが、「やっぱり楽しいな」って、毎日ずっとやってました。

– それで皆さん、就活ではどんな取り組みをされたんでしょうか。

藤宇:僕の場合は、専門学校が就活に力入れていて、年に2回ほど企業の人を呼んで行われる学内作品展示会がありました。「こういう作品を作ってて、ゲーム業界を目指してます」って業界の人と話せる機会だったので、そのおかげが大きいです。もちろん、そこでちゃんとした成果物が出せてこそなんですけどね。

– 成果物というのは――。

藤宇:ゲームの作品です。それが勝負のしどころでしたね。ほかの子たちと比べると、僕らはゲームの作品への力の入れ具合が違ったかなと思います。在学中の4年間、ずっと学内のコンテストや、学外のほうでもいくつか賞をもらいましたが、人に恵まれたところもあって、ゲーム作品での賞が多かったですね。

– “人に恵まれた” というのは、作品制作のチームですね。

藤宇:そうです。学内の同じ学年の子たちと作りました。プログラマーの子がすごく優秀でしたね。ただゲーム作品で “賞を取った” っていうのはアドバンテージにはなると思うんですけど、最終的には個人の能力で判断されるんで。僕の場合はアニメーター志望1個に絞っていたのもあって、“デモリール” というムービー作品を作ってましたね。先生からは就職の可能性を少しでも広げるために、モデリングの作品も用意したほうがいいんじゃないか、って言われたりもしたんですけど、どうしてもアニメーターとして就職したかったんで、最終的には――。

– 自分の意思をつらぬいた?

藤宇:そうですね。最終的にはもうモーションのムービーをバン、って力を入れて作って、プラチナゲームズから内定をもらった流れです。

– 増尾さんは。

増尾:まず、就活作品なんですけど、うちの大学は――あんまり就活の「し」の字もないような。

本間:分かる(笑)

増尾:もう各自「自由に作家になれ!」。

本間:美大はそうだよね。

増尾:就活担当アドバイザーの方も1人しかいなかった(笑)。就活用の授業もカリキュラムも一切なかったんです。その分自由に、自分の作りたいものに集中できる環境だったんで、突貫工事でデジタル作品をたくさん作るよりは、“4年間頑張ってきたアナログ作品を一番に見せる” 、っていうポートフォリオ構成で行こうと。――でも! それだと怖かったんで(笑)

一同:(笑)

増尾:「“ゲーム会社” はちょっと……この構成では見てくれないかもな」と思ったので、不慣れながらもペンタブを触ってみて――。突貫工事なんですけど、一応デジタル作品もちょっと入れて出しました。

– 藤宇さんとはまったく逆な感じで(笑)

増尾:逆ですね(笑)でも、リアクションは結構いろいろで、アナログ作品をちゃんと「あぁ、いいね」って見てくれる人もいれば、「デジタル作品がないとちょっと分かりづらいんだよね」っていう人もいて、もう本当にいろいろだな、っていう感じでした。

– ゲーム会社の人のリアクションが?

増尾:そうですね。全部ゲーム会社です。で、一番、“食いつきが良かった” っていうか、笑いを取れたのがサークル活動のページで。『テニスの王子様』のミュージカルサークルなんですけど……。

– ミュージカルサークル。

増尾:アニメキャラクターのコスプレをしてミュージカルを踊る、っていう――。

本間:めっちゃ楽しそう(笑)

増尾:自己紹介のつもりで入れたサークル活動のページが、とってもわいわい喜んで見てもらえたという感じですね。

– いま流行りの2.5次元ってやつですね。

増尾:はは。

一同:(笑)

– 乾いた笑いが(笑)。ゲーム業界以外にはまったくエントリーしなかったんですか?

増尾:もう本当にまったくしませんでした。あまりにも思い詰め過ぎて、「もうゲーム業界に入れなかったらニートだな」っていうぐらい(笑)。それぐらいの感じでした。ゲーム会社がよかった。

大学在学中3ヶ月ほど山に登って描いたクレヨン画です。身長の3分の2ほどのキャンバスに、山の地面を拡大して描いています。土、草、花びら、落ち葉や小石、ダンゴムシ……。それらを照らす暖かい木漏れ日を描きました。ミニマムな世界を拡大して描くことで、“身近だけど見落としがちな美しいものを再発見する” をテーマに制作していました(増尾)

大学の日本画制作室です。在学中はデジタルのデの字もない環境で絵筆を握っていました(増尾)

– 本間さんは。

本間:私は東京の美術大学だったので、毎日のように企業説明会があって。2年のころからそういう企業説明会に行って、企業のデザイナーさんとか先輩のポートフォリオを見たりしながら「どうやって就活していけばいいんだろう」とか「自分の進路はどうしよう」とか、ずっと考えてました。最初のうちはアプリ系、スマートフォンのゲーム会社を目指していたんですよね。たしか「給料がいい」とか、本当に単純な理由で(笑)。アプリ系すごい儲かるらしいんだよな~、みたいな話を聞いて、「じゃあ取りあえずアプリ系を目指すか」ぐらいの気持ちだったんですけど(笑)

一同:(笑)

本間:まあ理由としてそれよりも大きかったのは、アプリ系って開放的な人が多くて、すごく話しやすいんですよね。“デザインについて” とか就活のアドバイスを結構していただきました。でもそのうちに「自分の作りたいものって本当は何なんだろう」って、大学3年ぐらいのころにようやくちゃんと見つめだして。自分が本当に好きなゲームはアプリ系じゃないし、そもそもコンシューマーの奥深い世界観や、1つの遊びをすごく追求できて人を感動させられるようなものがつくりたい、っていうのが根底にあったから、「やっぱり自分はコンシューマーゲームじゃないと駄目だな」って。ようやく3年生の終わりのころに気付いて、それからはコンシューマー向けにポートフォリオも全部作り変えて、今までの作品も整理したりしましたね。で、私は話すことが得意ではないんですけど、何回も同じ企業説明会へ行ったりしていると、何回も同じデザイナーさんとかに会ったりするんですよ。そうするうちに企業の中の人と自然にコミュニケーションを取れるようになって。それで「この会社はどんなふうだ?」とか「この会社の人とは結構しゃべりやすいな」とか「風通し良さそう」とか、そういうのを判断して――。最終的にプラチナゲームズの説明会は5回ぐらい行ったんですけど(笑)

– 5回も!?

一同:(どよめきの声)

本間:学内説明会に何度も行って、普通に外の説明会にも行って、担当の社員さんとかに「また会ったね」とか「また来たの?」みたいな(笑)

– 1つの会社の説明会に5回行く人はなかなかいないでしょう。

本間:でも、中の人としゃべって今の自分のことを聞いてもらったり、逆に会社のことを聞いたりできるっていうのはすごい大事だから。学内説明会にいっぱい行ってたのはすごく良かったな、って思いますね。やっぱ人と……しゃべることが大切やな、って思いました(笑)

– 5回も行けば、さすがに大概分かりますよね。

本間:そうですね。「あ、ポートフォリオ変わったね」とか言われたり(笑)。

一同:(笑)

本間:「これいいじゃん」っていう。

– 毎回見てもらって。

本間:そうですね。“自分を知ってもらえるきっかけ” を作れたんで。それでプラチナゲームズの面接のときも面接官が5人いて、「5人もいる、どうしよう」とか思ったけど、「……あれ? 全員知ってる顔だな」となって、普通に(笑)

– いつもどおりな感じで。

本間:わりと普通に話してしまって楽しかった思い出ですね(笑)。面接は楽しかったです、そのおかげで。

増尾:すごいな。普通5対1って緊張するよ。

本間:それで私の場合、いろいろポートフォリオに入れてたんで――。すごい幅広く、世界観も入れるし、キャラも入れるし、なんかこう……美少女、メカ、みたいな(笑)そんなポートフォリオだったから、「何がしたいの?」っていうのはすごく訊かれて。会社に入ってちゃんと自分のやりたいことを見つけられるか、っていうのはずっと確認されたな。

– “スマホアプリ系からコンシューマー向けに作品を変えた”というのは、どのように。

本間:コンシューマーは主に3Dの作品が多く作られているので、いわゆる三面図とか、“実際に3Dにします” っていう体で作品作りを変えていって――。それまでは “キャラ絵” みたいな、いわゆるソシャゲのカードイラストみたいなのばっかり描いてたんですが、そういうのではなく「このキャラはどういう動きをするのか、どういう性格で、構造はどうなっているのか――」とか、“ちゃんとゲームの中で動くことを想定したポートフォリオ” を作っていきましたね。あとはやっぱり、私はキャラとか世界観にすごい思い入れがあるので、「コンセプトアーティストになりたい」っていうことを伝えたかった。

– 最初から決めていた。

本間:――そうなんです。だから、なるべくそういう裏設定みたいな、“キャラを掘り下げられるような” 設定とか、アイテムとかを散りばめたポートフォリオにしていましたね。

形態変化する敵のネタ。プレイヤーとのサイズ感や攻撃方法のラフなどを入れていました(本間)

-なるほど。――劉さんは。

劉:僕は学校が2年制だったし、しかもその学校、1年目は全然CGの授業がなくて、Webデザインとか、プログラム、C++とか……そういう授業が中心だったんで、作品作りに使えたのは、本当に最後の半年だけだったんですよ。

本間:すごいね。

劉:なので、みんなの分厚いポートフォリオを見ていたら、「これはできないな」って。「これと正面から戦ったら、もうボコボコに負ける」と思ったんで、“1個1個の作品をちゃんと念入りに作り込む” ことにしたんです。僕、日本のこういう1個1個のものを極めて作っていく感じの “職人の精神、職人文化” が好きなので――結局ポートフォリオの全部を合わせても、4つか、5つぐらいの作品しかなかったですね。でも、本当に1個1個を極めようと。ハードサーフェスのモデリング、メカ系だったらちゃんとメカの感じを出して、人だったらちゃんとリアル風に作ったりとかして――面白いのはその中に1点、CGで作った “自画像” があることで。ポートフォリオにそれを入れて、見た人が「めっちゃ作り込まれてるモデルだな」と思ってくれたら、細かく見るでしょう? それで――僕の顔が、どんどん記憶に残っていったらいいな、って(笑)

– 刷り込んでやろうと(笑)

増尾:すごい策士(笑) めっちゃ似てたね。

本間:あれはすごいよね。

自画像の作品。作っている途中で色々迷走しました(笑)(劉)

劉:でもそれは初めてのリアル系のCG作品だったんで、本当にもうどうやって作るのかも分からなくて、ゼロからソフトの勉強をしたり、本を読んだりとか、徹夜して――。学内で就職活動のプレゼンテーションがあるので、そのときに出そうかなと思ってたんだけど、1週間しかなくて……本当に、1週間まったく寝ないで作って、そのイベントの前日に、やっとできました。

– 反応はどうでした?

劉:やっぱりみんな見て「これ、面白いな」って。

– 自画像は実物と見比べたくなりますよね(笑)

劉:そう、そうですね。しかも僕、その作品に「これ、だ~れだ?」っていうタイトルを付けていて(笑)。――作ってる間に気付いたんですが、自分の顔って、本当に一番身近な顔なのに、“全然知らない” んですよ。どうなってるのか、本当によく見ないと分からない。で、それをきっかけに毎日、鏡を見てました。
 あと僕、就活は結構な冒険だったんですよ。同じクラスのほかの人は、20社~40社ぐらい応募したりとか、何十社も受けたりしてたと思うんですけど、僕は別にゲーム会社ならどこでも良くて日本に来たわけじゃなくて、最初から「プラチナゲームズに入りたいな」と思っていたので、そのほかには大手の4社だけ――全部で5社しか応募してなかったんですよ。そもそも落ちることを考えてなかったんです。「落ちたらそのとき考えよう」みたいな感じでした。

(中編につづく)


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