ICHIでございます。今回のフレッシュマンブログでは前回予告した通り、職種ごとに集められたフレッシュマンたちに、ざっくばらんにこれまでの経験をぶちまけてもらう “座談会” を行っていきたいと思います!

記念すべき第一回目は、ゲームデザイナー座談会。入社して1年半ほどの経験を積んだ今だからこそ聞ける、ゲームデザイナーという仕事に対して思うこと、就職活動の思い出や会社選びの基準、現在の生活環境などについて語り合っていただきました。前後編の2回に分けてお届けすることになりましたが、後編の最後には就活中の学生の皆さんに向けたメッセージもありますので、ぜひご覧ください。

– じゃあ、まずは1人ずつ自己紹介をお願いします。

関:関です。名古屋のゲーム系専門学校から来ました。ゲームは『ドンキーコング64』が大好きで、他にも『スーパードンキーコング』とか『バンジョーとカズーイの大冒険』とか……昔のレア社のゲームが好きです。

本田:本田です。僕はゲーム関係のことを勉強してここに来たわけではなくて、美術大学で4年間、プロダクトデザインの勉強をしていました。それ以前はテニスをやったり演劇をやったり、いろいろちょっとミーハーな感じの(笑)

関:ファイヤーダンスも(笑)

本田:ファイヤーダンスか……ファイヤーダンスもやりました(笑)大道芸をやったりとか、いろんなことをやって最終的にゲームにたどり着きました。好きなゲームは “自分のキャラクターが作れるゲーム” です。『Dragon Age』とか。

大学生のときの1コマ。燃料を含ませた棒を高速で縦回転、火柱をつくる「バーンアウト」という技です。何より安全に気を使うものばかりでした。(本田)

香ノ木:香ノ木です。学校は関と同じ名古屋の専門学校で、好きなゲームはFPSやアクション、あとは『SimCity』みたいなシティービルド系のシミュレーションが好きです。

– 皆さんがこの業界、この職種を選んだのにはどういった経緯があったんでしょう。

関:もともとゲームが好きだったっていうのもあるんですけど、ちっちゃい頃に『ドンキーコング64』をやっていて「こんなに面白いゲームって、どうやって作ってるんだろう!?」って興味を持って。当時はそれで終わってたんですけど、工業高校に入って機械旋盤とかでいろんな物づくりをやっていく中で、「ゲームがどうやって作られているのか、あらためて知りたい!」と思ったので、そういう業界にいけたらいいなと思ってゲームの専門学校に入った、という流れです。

– ということはゲームデザイナーを目指した理由も――。

関:そうですね。「面白い」の定義は人それぞれ違うと思うんですけど、「ゲームの面白さに一番詳しい人になるにはどうすればいいんだろう」と考えたときに、一番詳しい人はやっぱりその面白いゲームを企画・設計したディレクターやゲームデザイナーとかになるのかなと思って。それでゲームデザイナーを目指しました。

本田:僕もスーパーファミコンの頃から “ゲーム” っていうものに触れてきて、趣味としてずっとずっとゲームを、大学4年の最後になってもやってたんですけど(笑)。一応、当初は大学で専攻してる分野に進むことを考えてはいたんです。ただある時、「自分が人生で一番時間を費やしてきたコンテンツ」を差し置いていいのか?という迷いが生じて。実際、学業のほうもゲームのせいでだいぶ危ない目に遭ったりもしたんですけど、「ここまで人を取り憑かせる」というか「虜にしちゃうようなもの」を作り出すっていうのは、一体どういうことなんだろう、というところに興味を持って。大学の3年辺りからゲーム業界について調べ始めました。

最初は美大ということもあって、アーティスト職で受けようかなと思ってたんですけど、やっぱり自分を捉えて離さないゲームの面白さを形作っている部分――もちろんキャラクターとかもそうなんですけど、それよりもゲームの骨子、設計とかに興味があって、ならゲームデザイナーかなと。最終的に本当にゲーム業界に入る一番のモチベーションになったのは、「プレイする人を自分と同じ目に遭わせてやりたい」というか、「人の人生を狂わせるようなゲームを作ってみたい」っていう気持ちで、それでゲーム業界の門を叩いた感じです。

香ノ木:僕はゲームももちろん好きだったんですけど、中学校ぐらいのときにはコンピューター関係をいじるのが好きで、「将来はIT関係にいきたいな」って考えてて。でも実際、本当にITガッツリのほうにいくか、好きなゲームにするか、って考えたら「やっぱり面白いほうにいきたいな」って。それでゲームクリエイターになろう、って思ったんですよ。で、高校では“総合科” っていう学科で情報処理を学びました。高校を出てゲーム系の専門学校に入るときも「ゲームプログラマーをやるか、ゲームデザイナーになるか」っていう分かれ道があったんですけど、「自分の考えた面白いアイデアをゲームに活かせるのはゲームデザイナーのほうだ」と思ったんで、「じゃあゲームデザイナー向けの学科にしよう」と決めて今に至ります。

– なるほど。就職活動が始まってからは、ゲームデザイナーを目指すうえでどんなことを?

本田:そこはもう「ゲームをプレイすること自体が、そのまま勉強だ」と自分に言い聞かせて(笑)。それを建前に日々を過ごしていたので、 “たくさんゲームをやる”、“1人の時間はゲームに費やす”、っていうのが一番の活動だったかなと思いますけど。――君らはね、学校で勉強としてやってたから。

関:いや、そんなことは。学生時代に先生とかに言われたのは、「企画書とかを作るよりも、まず “ゲームを作れ”」みたいな。企画の立て方を教わるよりも、“ゲームの作り方” を教わる時間のほうが長かったですね。

– 実践で磨け、みたいな?

関:学校の考え方としては、「企画にはその人の個性が出るべきだから」みたいな感じだったよね。「自由に作れ」みたいな。「テンプレートとかを教えちゃうと、みんな同じような作品しか出さなくなる」って先生から聞いていて。

– あえてお手本みたいなのを見せることはしない、という。

関:企画は「自分たちで探せ」みたいな。同じ学校内にプログラマー専攻の友達がいて、そっちはもうプログラムとかをしっかり先生から教えてもらっていたので、その彼の手も借りてゲームを作っていました。

香ノ木:「企画、ゲームのアイデアは自分たちで考えろ」っていうことで。

– じゃあ就職作品の制作もそんな感じで。

関:そうですね。プログラマーの友達と――。香ノ木もそうだよね。二人三脚で作品を1個作って、みたいな。企画書とかは自分で作りましたね。

就活にも使った企画書の表紙。“実際に作る”ことを重視した授業を受けていたので、企画書も自分たちで作れる範囲のものを書くことが多かったです。(香ノ木)

– 二人三脚で共同作品として提出する、という。

関:専門学校では企業の人に自分の作品をプレゼンテーションする場があったから、そのときに「このゲームを作ったプログラマーもいるんで、良かったらプログラマーのほうも見ていってください」って言って。プログラマーの子のほうは「企画のほうも見てください」みたいな感じで、お互いに人を回したりして。

香ノ木:僕も同じ感じでしたね。

本田:専門学校ならではだよね、フローがちゃんと整備されてるところは。僕なんかは、大学のサークルが全然ゲームと関係ないことをやってる民族音楽のサークルだったんだけど、偶然、ひとつ上の代にゲーム業界行きを決めた人が多くて。N社、K社、G社とかその辺に――なので、その人の話を聞きながら企画書を作ってた。

企画書は世界観やシナリオから書きだすものが多かったです。今思うと、まず何するゲームなのか書けよ!という(笑)(本田)

とはいえ、もちろん先輩たちはアーティスト職だから。内定が出ると、内定者懇親会みたいなのがあるじゃん。先輩にそこで会ったゲームデザイナー職で内定取った人を大学に連れてきてもらったりもして、話を聞いて――。

– 志望する会社はどうやって選びました?

関:自分たちの場合はプレゼンテーションの会場で作品を見てくれた会社にまず最初に連絡して、って感じだったよね。

香ノ木:そう、取りあえずチャンスがあるところはちゃんと。あとは本当に面白そうだな、と思えるところ。

本田:就活ナビサイトで「ゲーム」って検索して、ズラッと並んだやつを上から1社1社調べてエントリーして。会社説明会にとりあえず行ってから考えようかな、って感じで。

– 会社説明会までは手当たり次第に、片っ端から受けていった。

本田:そもそもゲーム業界についての知識がなかったんで、まずそこを知らないと会社を選べないな、と。最初は手当たり次第に行きました。

-プラチナゲームズにはどんな印象を持ってました?

関:もう学校の先輩とか、先生とかからは――「あそこは結構大変だ、仕事が多い」みたいな話は聞いてて。やべえとこなんだ、だけど面白いゲームを作ってるな、みたいな印象でしたね。

– プラチナゲームズ作品をプレイしたことはあったんですね。

関:そうですね。『VANQUISH』とか『BAYONETTA(ベヨネッタ)』とか。

本田:そういう意味では「プレイしたゲームが面白かったから、その会社を目指した」っていうだけではなかったかも。やっぱり働く場所だから。もちろん “面白い、好きなゲームを作ってる会社” っていう基準もあるけど、“自分の体質に合いそうな” っていう意味では――。大学ではもう2徹、3徹なんて当たり前の制作をずっと繰り返してきたので、プラチナゲームズが “仕事に妥協がなくて忙しい” っていう話を聞いたときは「モノ作りってそうだよな」って思っていたので、そこはもう自然に「ガツガツ作る会社なんだな」と。

– 本田さんも当時からそういった印象を。

本田:そうですね。でも “頑張ったらいいものができる” っていうのは鉄則みたいなものだと思いますから。実際に作品の評価も高いし、そこはもう「疑いの余地はないな」と思って、ロックオンしてましたね。

香ノ木:プラチナゲームズっていう会社に対しては、日本の中では断トツで海外を視野に入れた、「いい意味で日本っぽくないゲームを作ってる」っていう印象があって、それが自分の作りたいゲームの方向性に沿ってるな、って思ってました。

本田:あと、やっぱり僕はコンシューマーがやりたかったんで、スマホゲーム専門の会社はほとんど受けてないです。“ハイエンド機で作っているところ” となると、やっぱりおのずとプラチナゲームズは候補に入ってくる。

香ノ木:僕もコンシューマー中心の会社がいいかなと。

関:「コンシューマーがいいな」とは思ってたんですけども、受けたところはもう節操ない感じで(笑)

香ノ木:(笑)

– 実際にプラチナゲームズの会社説明会に参加してみて、どうでした?

香ノ木:「活気がある」、みたいな印象でした。

関:「“仕事が多くてヤバい会社” から変わろうとしてるのかな」感は、ちょっと感じた(笑)

本田:その(仕事が多い)イメージを抱いて行ったら、「福利厚生に力を入れてます」っていうような話が結構あったりして。ちなみに僕はプラチナゲームズに2年続けて応募したんで、説明会にも2回参加してるんですけども、より後の2年目のほうが、その方針が色濃く出ている。この短い期間の間にすごい、変わろうとしているんだと。普通の人は2年も続けて受けないから得られない知見だとは思うんですけど、そういうのも感じたりしましたね。

– 本田さんにとってその変化は、いい感じでしたか。

本田:それで言うと “いい変化” でしたね。もちろん、 “ガツガツモノ作りする” っていうのも、いいものですけど、“働き方改革” みたいに時代が変わりつつある中で、ずっとそういうふうにやっていくのも難しいんだろうな、とは勝手に思ってて。そこをちゃんと柔軟に変えようとしているところは、なんというか――「大振りの強打者がミートに徹すると実はもっと強い」みたいな強みに変わるのかなと。そういう意味で “いい変化” が来ているんだなあと、よりプラスの印象が強まった気はしますね。

香ノ木:僕はさっき言ったとおり、「思っていたよりも活気があった」というのと。あとは「こんな風にゲームを作ってます」、っていう映像があったんですけど、それに対して会場に来ていた開発スタッフの人たち*が「あれいいね」みたいに話してるのを聞いて、「自分たちのゲームにやっぱり自信を持ってるんだな」って感じました。
*プラチナゲームズの会社説明会では、開発スタッフに直接質問できる「職種別質疑応答」の時間が設けられている。

それと、先輩クリエイターからのメッセージ映像もあったんですけど、そこで「ちゃんとやるときはやるぞ」、みたいな。甘くないんだな、厳しさもあるんだな、っていう印象でしたね。

本田:あったね、そういうの。結構。

関:ただ学校の先生や、先輩の話とかでも、だいたいのゲーム会社はそういうところが――時と場合によっては大変だ、っていうのは聞いていたので。そういうものなのかな、っていう感じでしたね。

後編につづく。

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